RHINOSHIELD × ゴッホ美術館® 公式コラボケースでゴッホの作品を鑑賞!

もし私たちが物事を手に取る勇気がなかったら、人生はどうなるのでしょうか?

フィンセント・ファン・ゴッホから弟テオへ 1881年12月29日

ゴッホ美術館のバーチャルツアーへようこそ!この記事では、ゴッホ美術館とのケースコラボレーションの背後にあるインスピレーションを紹介し、フィンセント・ファン・ゴッホの世界と芸術の旅へご案内します。

今回のコラボレーションのコンセプトは、ゴッホの作品を通して自分自身を表現しようとする意欲、革新、そして目標に到達するために何にでも挑戦する勇気から着想を得ています。このメッセージを伝えるために、彼の画家人生の中で重要な3つのポイントを表す特徴的な絵画スタイルの作品を選びました。


このシリーズを通して、様々な技法による試行錯誤の結果、ゴッホの典型的なスタイルがどのように発展していったのかをご覧いただけます。


フィンセント・ファン・ゴッホの人生

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、オランダを代表する画家の一人ですが、実はゴッホが画家として活躍したのは、1880年から1890年に亡くなるまでの10年間だけなのです。

彼の情熱の結果として、この10年間にゴッホは、水彩画、リトグラフ、手紙の中のスケッチなどを含む、絵画850点、デッサン1300点を制作しました。

ゴッホは生涯を通じて、弟テオをはじめ、家族や友人に何百通もの手紙を書きました。ゴッホにとって、これらの手紙は重要なコミュニケーション手段であり、自分の感情を開放できる場でもありました。また、ゴッホの人生や背景、そして読み、考え、見た物事について、現在知られていることの多くは、彼自身の「伝記」といえる手紙の数々から得られています。

彼は、ほとんど独学で学び、画家として活動しました。教科書、ブリュッセルやアントワープの美術学校での数回の授業、美術館訪問、友人画家からのアドバイスなどを通して、独学で技術を身につけたのです。また、フランスの現代美術の変化も取り入れることで、試行錯誤を行うようになりました。年月が経つにつれ、彼は表現力豊かな筆遣いと鮮やかな色彩を用いた独自の画風を確立していきました。この画風は、その後多くの世代の芸術家たちにインスピレーションと影響を与えました。

ゴッホの死後、彼の作品に多くの関心が寄せられましたが、それと同じくらいに、不幸な恋愛、認知度の低さ、病気、自殺など、彼のドラマチックな人生の物語にも多くの人々が惹きつけられました。


多面的な芸術家

コレクションの中には、小さな肖像画や代表作が描かれたデザインもあり、ゴッホの芸術家としての幅広さと、絵画を通して現在の自分を表現しようとする絶え間ない努力がうかがえます。


自分を知ることは難しいが、自分を描くことも簡単ではないと人々は言う。そして私はそれを信じてもいいと思っている。

フィンセント・ファン・ゴッホ、弟テオへ、1889年9月5日

RHISNOSHIELD × ゴッホ美術館 コラボ商品

自画像(灰色のフェルト帽をかぶったもの)

自画像(灰色のフェルト帽をかぶったもの)
自画像(灰色のフェルト帽をかぶったもの)AirPodsケース

ゴッホがこの自画像を描いたのは、パリに滞在してほぼ2年が経った1887〜88年にかけての冬のことです。この作品からは、彼が点描派の技法を研究し、自分なりに独自の方法で応用した様子がうかがえます。短い筆致を様々な方向に重ね、とくに顔の輪郭に沿った部分では、まるで後光のような効果を生んでいます。
またこの作品は、パリ時代におけるゴッホのもっとも大胆な色彩実験のひとつでもあります。背景には青とオレンジ、髭や瞳には赤と緑といった補色を長い筆致で隣り合わせに置き、色同士のコントラストによって互いの鮮やかさを引き立てています。しかし赤い顔料は時間とともに褪せ、もともと紫がかった部分は現在青みがかって見えるため、黄色との対比が当初よりも弱まっています。


火の付いたタバコをくわえた骸骨

このタバコをくわえた骸骨は、ファン・ゴッホが若き日に描いた、ちょっとした悪ふざけともいえる作品です。1886年初頭、彼がアントワープの芸術アカデミーで学んでいた頃に描かれました。
当時、骸骨のデッサンはアカデミーの基本的な練習項目の一つでしたが、油彩で描くことはカリキュラムに含まれていなかったことから、この絵は授業の合間や放課後、自由な時間に描かれたものだと考えられています。解剖学に対する確かな理解力も、この作品から感じ取ることができます。


ひまわり

1888年から1889年にかけて、南フランスのアルルで描かれたゴッホの《ひまわり》は、作品の中でも特に有名です。花瓶に生けたひまわりを描いたこのシリーズは、全部で5点の大作があり、いずれも「3つの黄色の色調と、それ以外は何も使わず」に描かれています。ゴッホはこのようにして、たったひとつの色でも多様な表現が可能であることを示しました。
ひまわりの絵には、ゴッホにとって特別な意味が込められていました。彼はこれらの作品を「感謝の気持ち」を伝えるものだと語っています。最初の2点は、ゴーギャンのために用意した部屋に飾られました。しばらくの間、黄色い家でゴッホと共に暮らした友人の画家ポール・ゴーギャンは、このひまわりの絵に深く感銘を受け、「まさにヴィンセントそのもの」と評しています。
ゴーギャンが滞在していた間に、ゴッホはすでに新たなバージョンを描いていました。ゴーギャンは後にそれを贈ってほしいと頼みましたが、ゴッホはためらいました。それでも最終的には2枚の複製を描き、そのうちの1点は現在、アムステルダムのゴッホ美術館に所蔵されています。


花咲くアーモンドの木の枝

青空を背景に咲き誇る大きな花の枝は、ゴッホが特に好んだモチーフのひとつです。アーモンドの木は春の初めに咲くことから、「新しい命の象徴」とされています。
この作品では、日本の版画から影響を受けた構図や力強い輪郭線が見られます。木の配置や画面の平面的な構成も、まさに浮世絵の手法を取り入れたものです。
この絵は、弟テオとその妻ヨーに贈られたもので、二人の間に生まれたばかりの息子、ヴィンセント・ウィレムへの祝福として描かれました。誕生を知らせる手紙の中で、テオはこう綴っています。「君にちなんで、彼の名前をヴィンセントにするよ。そして彼が、君のように意思が強く、勇敢に育ってくれることを願っている。」
この絵がファン・ゴッホ一家にとって特別な意味を持ち続けたのも、当然のことでした。やがてヴィンセント・ウィレムは、ファン・ゴッホ美術館の設立者となります。

モンマルトル:風車と菜園

モンマルトル:風車と菜園

パリ滞在中、ゴッホはモンマルトルの丘に点在する風情ある風車をよく描きました。当時のモンマルトルは、まだ市街地化が進んでおらず、家庭菜園や農場が広がるのどかな地域でした。
ゴッホはこのような風景画がよく売れてくれないかと期待を抱いていました。畑の白や小屋の鮮やかな青など、清らかで明るい色彩は、当時のフランス現代美術から取り入れたものです。日差しの表現には、油絵具をたっぷりと薄めて使用し、透明感のあるマットな質感を生み出しています。
また、この絵でゴッホは珍しく横長のキャンバスを選んでいます。この構図が広角レンズで撮影したかのような広がりを生み出し、小道や庭が扇状に広がって行くことで、視線を自然と地平線へと導いています。

サント=マリーの海の風景

サント=マリーの海の風景

この海の風景画は、ゴッホが実際に浜辺で描いたことがわかっています。というのも、絵の具の層から砂粒が発見されているのです。場所は、彼がアルルから足を運んだ南仏の漁村、サント=マリー=ド=ラ=メールです。
キャンバスには力強い筆致で青や白が塗られているほか、波の描写には緑や黄色も使われています。これらの色はパレットナイフで重ねられ、波間を透ける光が見事に捉えられています。
ゴッホは地中海の色彩に心を奪われていました。「サバのような色――つまり常に変化していて、緑なのか紫なのか、青なのかさえわからない。次の瞬間にはピンクやグレーに映って見える」と記しています。
そして前景には鮮やかな赤のサインがくっきりと添えられています。緑の中に「赤い音」を響かせるように。

ローヌ川の星月夜

ローヌ川の星月夜

これは、ゴッホの代表作『ローヌ川の星月夜』のスケッチです。このスケッチは、ゴッホが画家ウジェーヌ・ボックに宛てた手紙に同封されていたもので、もともとはゴーギャンに宛てて書かれたものの、送られず破棄された手紙の一部でした。

チューリップ畑と風車 - クロード・モネ

(本作品は、第二次世界大戦後にドイツから回収された美術品で構成される「オランダ美術財産コレクション(Nederlands Kunstbezit-collectie)」の一部であり、オランダ政府が信託管理しており、現在はゴッホ美術館に貸与されています)


クロード・モネは、オランダの色鮮やかな球根花畑に非常に感銘を受けました。1886年の初春、彼は友人に宛てて「この光景は、我々の貧しい絵の具では到底伝えられない」と書き送っています。以前にもオランダを訪れたことはありましたが、この時モネは、初めて花の海を描きました。
パリに戻ったモネは、この作品をテオ・ファン・ゴッホが勤めていた画商ブッソー・ヴァラドン商会を通じて販売しました。兄、フィンセントも、そこでこの絵を目にしたかもしれません。そしてゴッホは次第に、モネの素早い筆致と鮮やかな色使いを高く評価するようになっていきました。

さくらに百舌鳥 - 歌川広重3代目

ゴッホは「花鳥画(かちょうが)」と呼ばれる日本の浮世絵に大きな影響を受けました。日本の絵師たちは、花や鳥といった自然を題材にすることが多く、この版画のように花と鳥を組み合わせて描き、時には詩を添えることもありました。日本では、こうした鮮やかな版画を室内装飾として壁や屏風に貼って楽しんでいたのです。
そしてまたゴッホ自身も、日本の版画を壁に飾り、その繊細な描写に魅了されていました。その影響は、彼自身の作品にもはっきりと表れています。

野ばら

Vincent van Gogh(1853 - 1890)
Saint-Rémy-de-Provence, May-June 1889
oil on canvas, 24.5cm x 33.5 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van Gogh Foundation)

この野ばらの絵は一見すると穏やかで心地よい印象を与えますが、実際に描かれた当時、ゴッホは深刻な精神的危機のさなかにありました。ゴッホは平穏を求め、自らの意思でサン=レミ・ド・プロヴァンスの精神療養院に入院していたのです。そして体調が許すかぎり、庭へ出ては絵を描いたりスケッチをしたりして過ごしていました。
ゴッホはか弱く咲く花を写実的に描いていますが、葉の部分だけは異なり、緑の色面を平坦に塗り、さらに太い青の輪郭線で縁取るという独自の表現を施しています。

ドービニーの庭

Vincent van Gogh(1853 - 1890),
Auvers-sur-Oise, June 1890

oil on canvas, 51cm x 51.2 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

ゴッホ:ドービニーの庭 - スマホケース

ゴッホは生涯にわたり、風景画家シャルル=フランソワ・ドービニーの作品を深く敬愛していました。ドービニーはオーヴェルに暮らしていたことでも知られ、ゴッホがこの村に到着すると、すぐに彼の家と庭を訪ねました。これは、ゴッホが初めて描いたドービニーの庭の作品であり、のちにキャンバスに描かれた2点の大作へとつながっていきます。
当時、ゴッホの手元にはキャンバスがなかったため、彼は赤と白の縞模様のティータオルにこの庭を描きました。まず、鉛白に赤を混ぜた顔料でティータオルを明るいピンク色の下地で覆い、その上から庭の緑を塗り重ねています。このピンクの下地は、緑の絵具と鮮やかな対比をなし、絵の具のすき間からも、ピンクの下地を見て取れます。しかし時が経つにつれて赤い顔料が退色し、現在では下地のピンクは灰色がかった色合いに変化しています。

夕暮れの風景

Vincent van Gogh(1853 - 1890)

Auvers-sur-Oise, June 1890
oil on canvas, 50.2cm x 101 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum,Amsterdam

(Vincent van Gogh Foundation)

 ゴッホ:夕暮れの風景 - スマホケース

この夕暮れの風景画は、オーヴェル近郊の野原で描かれたもので、地元の城が見て取れます。ゴッホは、絡み合う黒い梨の木の枝を、激しい黒で描き出しており、それによって暗い樹木と輝く黄色い空とのコントラストがいっそう際立っています。
この作品は横長の構図のため、どこかパノラマのような印象も与えます。幅は1メートル、高さは50センチ。1890年6月から、ゴッホはこのサイズで13点の作品を制作。そのうち12点が風景画で、キャンバスはロール (巻かれた布状の画布) から自ら切り出したものです。

家のある風景

Vincent van Gogh(1853 - 1890)

Auvers-sur-Oise, May 1890
pencil, brush and oilpaint andwatercolour, onpaper, 44 cm x 54.4cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

ゴッホは、フランスのオーヴェル=シュル=オワーズ周辺の風景を美しいと感じていました。そこには茅葺き屋根の古い農家があり、趣のある田園風景が残っていたのです。
この作品では、茅葺き屋根の家々が波のような輪郭線で描かれています。最初に鉛筆で下描きをしましたが、絵を描く段階ではその線に厳密に従わず、場所によっては鉛筆の線が見える箇所があります。空には淡い水色の水彩絵の具を使い、風景のその他の部分には薄めた油絵の具を勢いよく筆で重ねています。

ひなげしと蝶

Vincent van Gogh (1853 - 1890)

Saint-Rémy-de-Provence, May-June 1889
oil on canvas, 35 cm x25.5 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

この作品を描いたとき、ゴッホはまず花や蝶から描きはじめ、背景の青はその後に塗り加えています。それは、青い絵の具の太い筆致がところどころ花の緑の茎の上にかかっていることからもわかります。また、キャンバスの一部は塗らずに残されており、布地が見える部分もあります。
さまざまな緑の濃淡を使い分けることで、絡み合う茎や葉、花びらに奥行きを与え、繊細なヒナゲシの生命感を巧みに表現。中には、今にも花開こうとしている蕾も見られます。

武蔵本牧のはな - 歌川広重

Utagawa Hiroshige (1797 - 1858)

Edo, fourth month 1858
colour woodcut onJapan paper, 34 cmx 22 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum,Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

東海道左り不二 - 歌川広重

Utagawa Hiroshige (1797 - 1858) Edo, fourth month 1858
colour woodcut onJapan paper, 34 cmx 22 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum,Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

吉原:不二の沼 浮島か原 - 歌川広重

Utagawa Hiroshige(1797 - 1858)

Edo, seventh month1855
colour woodcut onJapan paper, 23.2cm x 35.4 cm

Credits: Van GoghMuseum, Amsterdam 

(gift from Tokyo Shimbun)

川崎:鶴見川生麦の里 - 歌川広重

Utagawa Hiroshige(1797 - 1858)

Edo, seventh month 1855
colour woodcut onJapan paper, 37.9 cm x 25.9 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van Gogh Foundation)

関 参宮道追分 - 歌川広重

Utagawa Hiroshige(1797 - 1858)

Edo, seventh month1855
colour woodcut onJapan paper, 36 cm x 23 cm

Credits: Van GoghMuseum, Amsterdam

 (gift from Tokyo Shimbun)

鶴と桜 - 草木花鳥図 [揃い物]

Togaku, Tokyo, 1875-1900
colour woodcut onJapan paper, 38 cmx 26 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum,Amsterdam

(Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、数百点におよぶ日本版画 (浮世絵) を収集していました。そのコレクションは、弟テオとともにパリで暮らしていた時期に始まったものです。彼は浮世絵を熱心に研究し、未来の芸術は浮世絵のように色彩豊かで、喜びに満ちたものであるべきだと確信していました。
ゴッホが集めた浮世絵の多くは、現在ゴッホ美術館に収蔵されています。色とりどりの作品を眺めながら、かつてゴッホが魅了されたその世界を、ぜひご堪能ください。

密林の虎

Paul Elie Ranson(1861 - 1909), 1893
lithograph in threecolours on wovepaper, 58.6 cm x 41.5 cm

Credits (obliged tostate): Van GoghMuseum, Amsterdam

(Vincent van GoghFoundation)

フランスの画家ポール・ランソンは、この作品のテーマを日本の木版画から借用しました。アラベスク模様や花の装飾が施された優美なフォルムもまた、浮世絵の影響を受けたものです。奥行きや遠近感は意図的に排除されており、黒い輪郭で描かれたトラは、まるで紙を切り抜いたように平面的。これはランソンがあえて狙った表現で、装飾的であり、同時に現代的なイメージを生み出すためでした。
一見すると黄色い紙に刷られているように見えますが、実際はそうではありません。周囲のクリーム色の余白からわかるように、黄色の背景も印刷されたものなのです。背景色は、ポール・ゴーギャンが手がけた『ヴォルピーニ版画集』で用いられた、黄色い紙から着想を得たと考えられています。
『密林の虎』は、『レスタンプ・オリジナル』という版画アルバムの一部として発表されました。このアルバムは、全95点を9回に分けて刊行したものです。当時増えつつあった現代版画の収集家たちを対象としており、原則として、作家自らが制作・印刷を手がけたリトグラフ・エッチング・木版画のみを収録しています。
若手からベテランまで多様な作家が参加しており、19世紀末の芸術動向を一望できる貴重な資料となっています。ゴッホ美術館では、このアルバムの全セットを所蔵しています。

次の世代にインスピレーションを与える

最高の印刷技術とカラー品質で忠実に表現された作品が、スマホケースという身近な持ち物で手軽にお楽しみいただける今回のコラボレーション。ゴッホの作品をより多くの人々に知ってもらう手助けができることは、私たちにとって大変光栄なことです。このコレクションが、新しいスキルを習得したり、新しい趣味を見つけたり、「失敗はない。あるのは貴重な経験だけ」ということを心に留めておくきっかけになれば幸いです。